武道の真髄は護りにこそあり。市谷亀岡八幡宮「神道流傳 應神義厳流」剣術教室

古来より日本の寺社では戦乱の略奪や破壊から建築物や宝物を守るための武術習得が盛んでした。神道では剣術が特に有名で、その流れには鹿島神宮・香取神宮という二大神社の流れがあります。川村 方人 義厳(かわむら まさと ぎげん)先生はその流れにある流儀を学び、ここ市谷亀岡八幡で新しい流派「應神義厳流」を開きました。少人数で利益を追わずに稽古に励む現在のお姿と、今後、もし、教室が思わぬ成長をした場合の備えについてお伺いしました。

2017年11月28日更新

スポーツ

川村 方人 義厳(神道流傳 應神義厳流 武門師範家 師範)

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都会のど真ん中に静かに佇む『市谷亀岡八幡宮』でのお稽古

東京のど真ん中、市ヶ谷駅にある「市谷八幡方面改札」。じつは、その改札を出るとその名の通り「市谷八幡宮」という神社があるのをご存知でしょうか。

古くは戦国時代の武将・太田道灌も愛用の軍配団扇を寄進をしたという市谷八幡宮。ここではその立地の良さを活かし、また長い伝統を汲み、いくつもの伝統的な日本のお稽古事の教室が開かれています。今日はその中から剣術のお稽古にお邪魔します。

なかなか急な勾配の階段を登りきると、ここが東京のど真ん中とは思えないゆるやかな空気感が漂っています。

神社で武術というと、今一つピンとこない、という方もいるのではないでしょうか。古来より日本の寺社では戦乱の略奪や破壊から建築物や宝物を守るための武術習得が盛んでした。この市谷亀岡八幡宮の境内では幕末に新撰組も剣術を稽古していたそうです。

神社への奉仕活動は“神道流”として当然

今日お話を伺うのは、ここ市谷亀岡八幡で新しい流派「應神義厳流」を開いたという川村 方人 義厳(かわむら まさと ぎげん)先生です。

筋金入りの武道家のようなので、どんな怖い先生かと緊張していましたが、現れた川村先生は大柄な好青年という感じです。安心しました。

まずは亀岡八幡宮への奉仕活動であるお掃除から一日が始まります。

前日は木枯らしが吹いたため、境内は枯葉だらけです。これを川村先生と師範代の二人で徹底的にお掃除します。

「神道流は、神様や神社があってこその武術流儀です。ですので、我々も、神社の維持の為に自分達が出来る事をお手伝いしています。それは、敷地内のお掃除に始まり、各催し事の諸々の準備や参列をさせて頂いたり、多岐にわたります。秋などは、落ち葉が厚く降り積もり、掃除だけで一日の稽古が終わってしまう事も多々有ります。でも、それで良いと、私以下門人は考えております。」

もともとは学んでいた道場の閉鎖により、境内を借りて剣術の自己研鑽をしていたのだという川村先生。

当初、そのまま自分で黙々と稽古をするつもりでしたが、武術との向き合い方に悩んでいた時、宮司のかたから「市谷亀岡八幡宮様の為に武術をやってはどうか」と声をかけてもらったそう。

もともと神社を守るための神道流剣術を学んでいた川村さんは、このことで探していた居場所を与えられたと感じたそうです。また同時に「神道流傳 應神義厳流(しんとうりゅうでん おうじんぎげんりゅう)」という流儀名を頂いたそうです。

川村先生に声をかけた市谷亀岡八幡宮の宮司さんによると、神様を祀るための雅楽と、神様を守るための剣術の両方があるのは神社の昔の姿に近いそうです。

日本の武術は「護りの武術」

日本の武術は「護りの武術」であると言われます。

日本の古武術の大きな流れである「神道流」が神社を守るために生まれ、神様や神社と共に生きる武術として継承されてきたことを考えると、日本の武術が「護りの武術」という説明に納得がいく気がしました。

大量の枯葉と格闘したのち、日も傾きかけた頃、ようやく剣術の稽古が始まりました。太い木刀で激しく打ち合う姿に、境内を行きかう人も立ち止まって眺めたり、カメラを向けたりしています。

ただ打ち合うだけではなく、刃先の向きや間合いを師範代とお互いに細かくチェックしていきます。

竹刀を使い面や胴への打ち込みでポイントを争う剣道と異なり、相手の急所を意識して打ち合いながらも、直前で寸止めする剣術は稽古相手に信頼関係のある人でないと難しいそうです。その精神性や気合は大変興味深いものです。

神道流剣術など、古武術では上級者になると居合刀などを利用して、より実践的な稽古をします。この日は特別に真剣を使った「型」を見せてくださいました。「抜刀術」とか「居合」と呼ばれ、中級位になってから学ぶものです。

「ただ、踏み込み、剣を抜き、斬り附ける。それが、如何に難しいかを知る事に意味が有ります。その動きを支える為に、地道な基礎稽古を積み重ねなければなりませんし、剣術の型を通して、間合や拍子と言う事もみっちり学ばなければ成り立ちません。」

武道において「型」を学ぶ意味

日本のみならず、武道武術を学ぶ時に触れるものに「型」があります。

川村先生によると「型」とは想定稽古と言えるのではないか、とのこと。

「こう来たらこう返す」という状況を作り、その中で、剣や身体の遣い方、間合や拍子と言った、様々な事を学びます。型を使う戦いの想定はかなり追い詰められた厳しいシチュエーションで、普通に考えれば勝てないかも、と感じるそうです。

「一生に一度あるか、ないかという、“九死に一生の状況”を『型』を通して想定稽古し、九死を八死、七死にする事が出来るのであれば、あらゆる事象に余裕をもって対応する事が出来る。それはとても大切な事だと思います。心が切羽詰っていては、身も萎縮してしまい、存分に技を奮う事は出来無いでしょう。それだけ“心の在り方”とは身体に影響をおよぼす重要なものなのです。『型』を通した稽古で心の鍛錬が出来るのです。」

意外なことに「型」を学ぶことは、安全に稽古をすることにもつながるといいます。

「私見ですが『型』とは安全かつ効率的にその流儀の『理(ことわり)』を学ぶ事が出来る様に編み上げられていった物とも考えます。安全と効率とは、武術において非常に重要な事と考えます。」

武道にはたいてい2通りの練習があります。「型」の練習と、実際に相手を前にして打ち合ったり組み合ったりする実践練習です。もし、剣を使う実践練習である「試し合い」で大怪我をしてしまって、本来必要とされる場面に於いて武術が出来なくなってしまったり、支障をきたしてしまっては本末転倒です。そのため、剣術では「試し合い」を控えて黙々と「型」の稽古に励みます。

「幕末のご先達の言葉ですが『武術と言うものは、生涯に一度有るか無いかの時の為に、生涯をかけて学ぶもの。遣わないで一生を終えられればそれにこした事は無い。』といいます。いつ起こるか分からない有事に、出来うる限り万全で臨む為に、少しでも早く、少しでも安全に『理』を学ぶ。その為に古人先達が、練りに練ったものが『型』であると思います。」

地元の人達から愛され信頼される武術家

朝早くから日が暮れるまで取材ライターとして稽古に参加しましたが、その途中、川村先生たちは何度も近所のおばあちゃまや神社を訪れたひとに声をかけられ、立ち話をしていました。

その内容は家族がなくなったことを告げられて一緒に悼んだり、ご高齢のかたが体調を崩して入院した愚痴の聞き役だったり…川村先生はその話すべてにとても一生懸命耳を傾けています。じつは川村先生は両親が共働きだったため、同居なさっていたおばあさまの膝の上で、時代劇を見て育ったのだそうです。ご高齢の方との心のこもったコミュニケーションはそのためでしょうか。

差し入れもありました。山形産の大きな洋ナシ、ラ・フランス。

なぜか私も1個おすそ分けを頂き、びっくりです。

うーん、川村先生たちは、何かに似ている…と思っていたら、思い出しました。地域の青年団とか、ボーイスカウトにとてもよく似ています。地元の人達からの信頼も厚い武術家というのは、相手を打ち負かすために武術を学ぶ人と一線を画すと思いました。

伝統継承とITシステム利用は「相反しない」

お稽古の最後はお参りです。もう日暮れです。

練習の後に、このお教室の運営システムについてお伺いしました。

「まだ生徒数がそれほど多くないので、月謝は生徒さんから手渡しで預かっている状況です。道具を揃えたり、合宿や演武遠征等に行く費用はその折々で自己負担する形で運営しております。現在は、それで問題を感じてはおりません。」

しかし、今後門下の生徒さんが増えていく状況になると、こういった阿吽の呼吸での運営はすぐに難しくなるのではないでしょうか?

「例えば喜ばしい事ですが、門人が増えた時等、目端が利かなくなる事や、教室運営にかかる費用や状況の変化も当然考えられます。そんな時、それをサポートして運営を円滑化してくれるシステムがあれば、大変助かると思います。とりまく環境や状況の変化に、慌てる事無く対応出来るシステムのサポートもまた、現代に生きる為に“心の腰を据える”1つ方法でしょう。」

“心の腰を据える”とは、川村先生がお使いになる表現で、思わぬ想定外の出来事にもあたふたしない、日ごろの鍛錬や備えのこと。急に生徒さんが増えたりすれば、思いがけぬ手間が増えるものですから、使い勝手の良いサポートシステム導入も選択肢として考えておきたい、とのことでした。

市谷亀岡八幡宮 剣術教室・問い合わせ情報

取材後に川村先生から頂いたメールには、このお稽古の魅力がこう書き記されていました。

「春には切っ先に舞い散る花弁に満開の桜を見上げ、夏には耳に残響が残る程の蝉時雨を聞きながら汗を散らして組太刀を練り、秋には様々な木々の様々に色づき落ちる中で木剣を振り、冬には雪の積もった中で心まで真っ白になりながら居合の稽古をする事が出来る。それは、現代に於いて、忘れがちになっている四季の中に身を浸す事の出来る大変幸せな時間でも有ります。そんな、時間を、週に一度でも過ごしてみる。それは、『日本人らしさ』を肌で感じ、取り戻す事ではないかと思います。」

 

「神道流傳 應神義厳流」剣術教室の野稽古は、毎週日曜日の朝10:30からその季節ごとの日暮れまでです。(雨天中止)

見学などのお問い合わせ:oujingigenryu@gmail.com

 

(写真と文:小林晶子)

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